いつからか、
わかりやすいものをつくりたい。
そう思うようになりました。
なぜそう思うようになったんだっけ?
とふとトイレで考えました。
普段なにげなく見ているものをわかりにくいなあ。
もっとわかりやすくならんもんかなあ〜
と感じてきたからだと思います。
物事をわかりやすく表現すること。これは大変難しいこと。
日々実感しています。
言葉と絵と写真、色。
におい、味、音、てざわり。雰囲気。
わたしたちは五感でいろいろな感覚をとらえています。
わかりにくい表現は、五感に響いてこない。
五感の思考停止が起こる。
そんな感覚を感じたことはありませんか。
まるで、期待はずれな映画を見たような気分に
似た感覚です。
わかりにくいものの背景には、
どんな背景が隠されているのでしょうか。
ちょっと考えてみました(トイレで)。
1 つくった人の理解が足りない。
わからないままつくっても、わかりやすいものはできません。
2 理解はしている。
ただ、わかりやすくするための試行錯誤をしていない。
もしくはわからない人にはわからなくていい。と思っている。
これは、内容の理解は人一倍できているけど、
人の五感に響いくような表現が結果としてできていない場合です。
授業がわかりやすい先生と、
難しいばかりでよくわからない先生っていましたよね。
授業のカリキュラムは同じなのに、なにが違っていたのでしょうか。
見る側の視点を重視したかそうでないかで、
伝わる、伝わらないが決まるのではないかと思います。
内容のことを知っていても、
それをどう表現して伝えるかの行程が抜けてしまっている表現は、
やっぱりわかりにくいのです。
伝える前に、抜け落ちたもの、力尽きて手を尽くせないところ。
時間が足りなくてそこまで手がまわらなかったところ。
つい言いそびれて放っておいてそのままにしてしまったところ。
そこに伝える難しさが凝縮されていると思います。
わたしにできることは、「どうやって伝えようか」を考え続け、
出した答えを実践するだけです。
そういうことを考えていると、
ついトイレに長居してしまいます。
〜アルタンクニュース37号より抜粋